Muho’s diary

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です。

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です……が、最近は吠えてばかりです。見苦しくて申し訳ありません。でも、いま日本を支配している政治家とその一派の方が遙かに見苦しいでしょう? ちなみに、普通の日常はこちらです。https://muho2.hatenadiary.jp

三浦さんAmazonに現る

  • そんなもん、当たり前だ。個人的に松本はどうでもいいとして、もう一人の三浦瑠麗氏は致命的だろう。徴兵制を容認し、大日本帝国を「豊かだった」と言う、素性の知れない怪しい人間だぞ。そんな人間を識者まがいの扱いをして、CMにだしてどうする。
  • 仕事上、プライムを解約できないのが残念だが、苦情のメールはだした。
  • しかし、何度も何度もおかしな発言をし続けているのに、批判の火は小さく、今では立派な御用学者風の芸風で売っている。日本恥ずかしい。

mainichi.jp

 アマゾンプライムは月額有料制で、動画の見放題や配送料金が一部無料になるなどの複数のサービスを組み合わせたもの。このアマゾンプライムを解約したことをツイッター上で報告する投稿が、16日ごろから目立ち始めた。きっかけは、放送中のアマゾンプライムビデオのCMだった。

 タレントの松本人志さんや国際政治学者の三浦瑠麗さんらが、テレビやタブレットで映画や動画をみている15秒の映像で、松本さんが「プライムビデオ使っている人、増えているみたいやね」「月額500円、さあ、あなたも」などとナレーションしている。

 解約の動機として多くの人が挙げているのは、CMの内容自体ではなく、三浦さんや松本さんを起用した点だ。三浦さんは著書で徴兵制の導入について論じている。2018年には民放のテレビ番組で「スリーパーセル(潜伏中の工作員)」という言葉を使って北朝鮮の「テロリスト分子がいる」「今結構大阪やばいと言われていて」などと発言し「在日コリアンへの差別をあおる」と批判の声があがった。三浦さんはブログで「専門家の間では一般的な認識であり、初めてメディアで語られたことですらありません」「安全保障の営みを可能とさせるためには、専門家に対してあらゆる事態について想定し、テーブルに乗せる裁量を与えなければなりません。(中略)人権保護と緊張関係があるからと言って、国家の安全にとって重要なリスクを国民に見える形で議論することを躊躇(ちゅうちょ)すべきとは思いません」と反論している。

lite-ra.com

◆全否定は過去見誤る 国際政治学者・三浦瑠麗さん

まず、「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます。大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)~四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています。それを全て否定するのは一面的で、過去を見誤っています。

 「今は、あの二年間に似ていますか」と聞かれたら、私は「全然似ていない」と答えます。「『共謀罪』法が治安維持法に似ている」というのも誤った分析。現代は当時のような共産主義アナキズム無政府主義)の脅威がありませんし、民主政治は成熟しました。人権を守る強い制度も定着した。あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう。警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いています。

 「戦前回帰?」の議論は元をたどれば改憲論議。現在の憲法改正を巡る議論は、護憲派改憲派ともに不十分な点が多い。

 まず護憲派。悲惨な敗戦と、あまりに大きな犠牲を払った総力戦への反省に立脚する平和主義は、一国だけのものですか、と問いたい。日本が戦争をしないことにしか関心がない考え方は、世界に向かって普遍的に説明できるものではありません。志が低い。矮小(わいしょう)化された平和主義が、すでに国民の過半数の支持を得られなくなっている。それが今の状況でしょう。

 改憲派は、一九四七年に連合国軍総司令部(GHQ)に押しつけられた憲法を否定し、少しでも変えることに固執していますが、こちらも小さい。安倍晋三首相は五月、憲法九条に三項を加える「自衛隊の明文化」を提案しました。連立相手の公明党への配慮だと思います。でも、それでは本質的な矛盾は解決しない。私は「戦力不保持」を定めた二項を削除すべきだと考えています。

 改憲の議論を見ても、国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人が育たなくなっていることが分かる。残念なことです。台湾の李登輝・元総統を見てください。困難な状況下で骨太の政治理念を養い、民主化を主導した名指導者ですが、彼を育てたのは戦間期第一次世界大戦と第二次大戦の間)の日本であり、戦後の日本ではないのです。