河野太郎行革担当相は18日の閣議後会見で、自身が立ち上げた行政改革目安箱「縦割り110番」の受付を停止したことについて、予想を超える4000通ものメールが寄せられ、1人で返信する範囲を超えたためと説明した。
河野担当相によると「全てのメールに自分で返信するとした手前、昨夜読んだが、100通くらいかと思っていたら食事中に1000通、3000通と増えた」という。「具体的な提案などもあり、きちんと対応したい」と述べ、内閣府の規制改革ホットラインは受付を継続していると紹介した。
NHK受信料の支払い義務化
ほかに菅首相のテレビ界に関する政策として考えられるのは、まずNHK受信料の支払い義務化。
菅首相は総務相時代の2007年、当時のNHK会長・橋本元一氏(77)に対し、「受信料を約2割値下げし、義務化を」と提案した。だが、橋元氏はこれを拒んだ。その理由を橋元氏は「2割値下げという考え方は受け入れられない」と説明したが、局内には「自民党の支配度が高まる」という危惧もあった。
そもそも古くからNHK内には義務化に慎重な声が根強い。NHKマンたちに本音を聞くと分かるが、任意で支払ってもらうからこそ公共放送として視聴者との信頼関係を築けると考えている人が少なくない。
半面、近年のNHKは受信料不払い世帯に対し、支払督促申立てなどの法的手続きを取るケースも多い。矛盾である。だが、これはNHK全体が積極的に望んでいることとは言い難く、背景は複雑だ。
NHKが徴収率アップに向けて躍起になる理由
実はNHKが受信料不払いに対して法的手続きを講じ始めたのも菅総務相の時代なのだ。2006年11月、都内の33件について東京簡易裁判所に支払い督促を申し立てた。
徴収率が落ちると、「公共放送としての権威がなくなる」などの声が永田町や霞ヶ関から上がり、プレッシャーをかけられる。政官界からの重圧から逃れたいというのもNHKが徴収率アップに向けて躍起になる理由なのだ。
それでも菅首相が義務化を実現させた場合、約2割の世帯にとっては事実上の増税となる。2019年度末の受信料の推計世帯支払率は全国で81.8%だからである。
なにやら因縁めいているが、都道府県別で受信料の支払率が一番高いのは秋田県の98.3%。菅首相の故郷だ。受信料義務化が菅首相の選挙に悪影響をもたらすことはないだろう。東京は69.8%、最も低いのは沖縄県の51.8%だ。沖縄県が低い理由は1972年の本土復帰までNHKが撤退していた上、政府寄りの報道があることで不満を抱かれているからだと思われている。
「義務化すると、NHKは今以上に各所から反感を買いかねません。番組づくりの自由度も落ちるでしょう。また、放送内容についてより丁寧な説明をする責任が生じてきます」(岩崎編集長)
義務化されれば、事実上の国営放送の誕生と言っていい。受信料を強制的に徴収した上、NHKの最高意思決定機関である経営委員会の12人の委員は政府が決めてしまうのだから。経営委員会は会長の任免を行い、予算や事業計画なども決定する。
経営委員は衆・参両院の同意を得て、首相が任命するが、その仕組みを考えれば、政権が牛耳れるのは説明するまでもない。同じ公共放送のイギリス・BBCとは全く違う。公共放送とは、国による管理や統制から自立した放送にほかならない。
「もし75年前にSNSがあったら」という設定で、NHK広島放送局が今年3月からツイッターで展開している「1945ひろしまタイムライン」。実在の3人の日記を基に、架空の広島市民3人のアカウントが原爆投下当日の様子を“実況”するなど話題を呼び、計41万超のフォロワーがついている。8月15日の「終戦」以降もツイートは続いているが、ここに来て「朝鮮人」をめぐる記述について「差別を扇動している」という批判が広がっている。何が問題なのか。
批判が集まっているのは中学1年生の少年「シュン」のアカウント。8月20日に次のような投稿があった。
<朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!>
<「俺たちは戦勝国民だ!敗戦国は出て行け!」 圧倒的な威力と迫力。 怒鳴りながら超満員の列車の窓という窓を叩(たた)き割っていく そして、なんと座っていた先客を放り出し、割れた窓から仲間の全員がなだれ込んできた!>
<あまりのやるせなさに、涙が止まらない。 負けた復員兵は同じ日本人を突き飛ばし、戦勝国民の一団は乗客を窓から放り投げた 誰も抵抗出来ない。悔しい…!>
これに対し、ツイッター上では「その出来事があり、それを日記に書いた人がいるのは事実かもしれないが、今の世の中に発信することは無色透明な事実ではない」「(漫画の)『はだしのゲン』にも同様の場面はあるが、全編を通して朝鮮人への差別や弾圧、それに対する怒りを描写している」といった批判が相次いでいる。
6月16日にも次のような投稿がある。
<朝鮮人の奴(やつ)らは「この戦争はすぐに終わるヨ」「日本は負けるヨ」と平気で言い放つ。 思わずかっとなり、怒りに任せて言い返そうとしたが、多勢に無勢。 しかも相手が朝鮮人では返す言葉が見つからない。奥歯を嚙(か)みしめた。>
シュンのツイートのもとになっている新井俊一郎さんの日記はひろしまタイムラインの公式サイトに掲載されているが、原文に「朝鮮人」という語句は見当たらない。ツイッター上では「どこからどこまでが史実で、どこからが想像なのかが分からないし、注釈もない」といった指摘もある
ひろしまタイムライン。
— passerby (@tokyopasserby) 2020年8月20日
1945年6月16日分の日記原文とツイート。
ぜんぜん違うけどどういうこと?
完全なる創作?https://t.co/QVhmeXRPjYhttps://t.co/HvMDNDRRxr pic.twitter.com/rtkgabfz9h
嫌みったらしくて耐え難い。誠実さの欠片もない。もうその歪んだ口元から発せられる歪んだ言葉を聞きたくないです😫#麻生太郎 pic.twitter.com/g3jsHIlhhF
— AYAX™️ (@bmtmr) 2020年8月17日
アマゾンプライムは月額有料制で、動画の見放題や配送料金が一部無料になるなどの複数のサービスを組み合わせたもの。このアマゾンプライムを解約したことをツイッター上で報告する投稿が、16日ごろから目立ち始めた。きっかけは、放送中のアマゾンプライムビデオのCMだった。
タレントの松本人志さんや国際政治学者の三浦瑠麗さんらが、テレビやタブレットで映画や動画をみている15秒の映像で、松本さんが「プライムビデオ使っている人、増えているみたいやね」「月額500円、さあ、あなたも」などとナレーションしている。
解約の動機として多くの人が挙げているのは、CMの内容自体ではなく、三浦さんや松本さんを起用した点だ。三浦さんは著書で徴兵制の導入について論じている。2018年には民放のテレビ番組で「スリーパーセル(潜伏中の工作員)」という言葉を使って北朝鮮の「テロリスト分子がいる」「今結構大阪やばいと言われていて」などと発言し「在日コリアンへの差別をあおる」と批判の声があがった。三浦さんはブログで「専門家の間では一般的な認識であり、初めてメディアで語られたことですらありません」「安全保障の営みを可能とさせるためには、専門家に対してあらゆる事態について想定し、テーブルに乗せる裁量を与えなければなりません。(中略)人権保護と緊張関係があるからと言って、国家の安全にとって重要なリスクを国民に見える形で議論することを躊躇(ちゅうちょ)すべきとは思いません」と反論している。
◆全否定は過去見誤る 国際政治学者・三浦瑠麗さん
まず、「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます。大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)~四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています。それを全て否定するのは一面的で、過去を見誤っています。
「今は、あの二年間に似ていますか」と聞かれたら、私は「全然似ていない」と答えます。「『共謀罪』法が治安維持法に似ている」というのも誤った分析。現代は当時のような共産主義やアナキズム(無政府主義)の脅威がありませんし、民主政治は成熟しました。人権を守る強い制度も定着した。あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう。警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いています。
まず護憲派。悲惨な敗戦と、あまりに大きな犠牲を払った総力戦への反省に立脚する平和主義は、一国だけのものですか、と問いたい。日本が戦争をしないことにしか関心がない考え方は、世界に向かって普遍的に説明できるものではありません。志が低い。矮小(わいしょう)化された平和主義が、すでに国民の過半数の支持を得られなくなっている。それが今の状況でしょう。
改憲派は、一九四七年に連合国軍総司令部(GHQ)に押しつけられた憲法を否定し、少しでも変えることに固執していますが、こちらも小さい。安倍晋三首相は五月、憲法九条に三項を加える「自衛隊の明文化」を提案しました。連立相手の公明党への配慮だと思います。でも、それでは本質的な矛盾は解決しない。私は「戦力不保持」を定めた二項を削除すべきだと考えています。
改憲の議論を見ても、国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人が育たなくなっていることが分かる。残念なことです。台湾の李登輝・元総統を見てください。困難な状況下で骨太の政治理念を養い、民主化を主導した名指導者ですが、彼を育てたのは戦間期(第一次世界大戦と第二次大戦の間)の日本であり、戦後の日本ではないのです。