小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です……が、最近は吠えてばかりです。見苦しくて申し訳ありません。でも、いま日本を支配している政治家とその一派の方が遙かに見苦しいでしょう?

私的領域は守る 尿失禁は外で。

  • 安倍逃げたとか、小池にはまってさあ大変とか、枝野立てとか、それはそれで見ていて楽しいのだけれど、それはあくまで祭りであって、数週間後に祭りは終わり、すべてが後の祭りになる。盛り上がっているときには見過ごされがちだけれど、こういう記事に目を通しておくことも必要かと思う。

 

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 戦後日本が培った原理に、「私的領域」と「公的領域」の明確な区別があります。近代立憲国家として必須のこの原理に、安倍政権は第一次の時から首相主導で手をつけ始めました。

 2006年に60年ぶりに改正された教育基本法では、前文の「真理と平和を希求」が「真理と正義を希求」に修正されました。「平和」は一義的ですが、「正義」の内容は価値観によって違い、国家が定義すべきものではありません

 明治の日本が学んだ西欧の憲法は、過去の宗教戦争の惨禍に学び、国民の思想や信条に国家の側は介入しないという良識を確立していました。だから、教育勅語という精神的支柱の必要性が説かれたとき、明治憲法の実質的起草者だった井上毅(こわし)は「君主は臣民の良心の自由に干渉」すべきでないとして反対しました。

 結局、教育勅語は出されましたが、国務大臣が副署しないことで、政治上の命令でなくなった。国家は国民の「私的領域」に立ち入るべきではないとの良識が、この段階では保たれていたのです。

 問題は日清、日露の戦勝で天皇の権威が高まった昭和戦前期に起きました。軍部は国家不振の原因を政党と財閥のせいにして、対外的な危機感をあおり国民の人気を得ていきました。軍部の意向を忖度(そんたく)した政治家やメディアもまた、教育勅語を軸に「国家が望む国民像」づくりに加担しました。

 国家が国民の私的領域を侵そうとする姿勢は、自民党改憲草案にも見えます。憲法13条の「すべて国民は、個人として尊重される」が、「人として」となっている。「個人」を「人」に修正するのは、内面の良心の自由が守られるかという点で大きく違います。

 国家と国民の関係の変化は、内閣と立法府である国会との関係の変化として顕在化します。今年6月の「共謀罪」と「天皇退位特例法」の審議過程がそれです。

 共謀罪」では、安倍内閣参院の通常の手続きを省き「中間報告」という異例の手段を取りました。法案を早期に通すためです。同時期に成立した天皇退位特例法は、与野党全会派の全体会議で事前に意見集約され審議が進みました。どちらも奇策です

 来たるべき憲法改正論議で、こうしたことは十分起こりえます。内閣と国会の関係は、確実に静かに変わりました。私たちが直面する政権「信任」選挙は、このような地平での闘いにほかなりません。(聞き手・後藤遼太)

 かとう・ようこ 1960年生まれ。東京大教授で専門は日本近代史。「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(2009年)で小林秀雄賞を受賞。

 

 

  • まったくもって、恐ろしいことだ。心せねばならない。でも、でもさ、やっぱり、面白いよねぇ、この人たち。

 

  • 事前にチェックする人、いなかったのかよ。AIなんだろ。もっとちゃんとやれよ
  • 最後は一緒になって、「緑のたぬき かけそば」になるんだろう。

  •  東京もたぬきがトップだけど、大阪もアホがトップやから大変やな。