- 以下の二記事は、共に、自民党政治家の口から発せられた差別発言が起点となっている。発言した二人が実際にどんな人物なのかは知らないが、いずれにしても、政治家としては無知の極みから出た言葉だ。どちらも、激高した議論の果てにポロリと言ってしまった、口が滑った、類のものではない。堂々と公衆の面前で、それが差別に当たるなど考えもしないで、下手をすると、ちょっとした笑いを取るために言った可能性もある。
- 南京虐殺はなかったとか言ってる政治家連中は、脳みそのボタンを掛け違っているので、これはこれで由々しきことではあるけれど、差別発言をして、「え? これ差別なの?」と政治家が青くなっているようでは、その時点で政治家の資質はない。でも、そんなのが中枢にごまんといる。そしてそんなのが無知ゆえに、脳のボタンが掛け違っているがゆえに、「憲法改正だ!」とか叫んでいる。
- でも、彼らを止める術はない。彼らは選挙で大勝したのだ。我々は彼らを許容したのだ。どれだけ日本が時代遅れとなり、先進国の後進国となり、後進国の先進国となり、後進国の後進国になっても、それは仕方がない。選挙って大事。
田中優子の江戸から見ると 「伝統」という言い訳(毎日新聞 2017.12.13)
「日本国の伝統に合わない」と言ったそうだ。宮中晩さん会へ同性パートナーを伴うことに反対した、自民党の竹下亘氏の反対理由である。伝統という言葉をどう定義しているのだろう。恐らく日本文化についてほとんどご存じないにもかかわらず知っているような気分をお持ちで、伝統の定義は「私の意見に合うもの」なのだろう。
日本ほど同性愛者への偏見が無い国は珍しかった。その傾向は古代からあり、貴族、僧侶、武士の麗しき文化として継承され、江戸時代はそれが庶民に広がったわけなので、日本の伝統的な宮中晩さん会にそぐわない理由がない。
もう一つ「伝統」を盾にしている事柄がある。選択的夫婦別姓を妨げる動きだ。日本人の夫婦が同姓になったのは1898(明治31)年。それまでは夫婦別姓だったので、この時も日本の伝統に合わない、と反対があった。このように「伝統に合わない」という言葉は「私の意見と違う」という意味に使われる。しかし今日のような日本に関する無知は、政治家だったら恥ずかしくはないか。しかも欧米の多くの国や州は選択的夫婦別姓となっており、主要7カ国(G7)の国々で同性カップルの法的保障がないのは今や日本だけだ。
事態はもっと深刻だ。竹下氏は発言が批判されると「言わなきゃよかった」と述べたそうだ。「自分の理解が及ばなかった」ではない。政治家が、民主主義国家の根幹にかかわる「人権」や「ダイバーシティー(多様性)」の意味を理解していないのである。
法政大はダイバーシティーを宣言し推進している。それには人権意識の深化は欠かせない。LGBTなど性的少数者が古今東西人間の普通のありかたとして定着していることを前提に、差別を恐れず学べる環境作りが大学の役目だ。近く英国からシンポジウムに出席する女性教授を迎える。同性パートナーと共に来日する。ちょっと日本が恥ずかしい。
前地方創生相の山本幸三・自民党衆院議員(福岡10区)がアフリカ各国との交流に言及した際、「何であんな黒いのが好きなのか」と発言したことを巡り、アフリカにルーツを持つ日本の子どもたちに動揺が広がっている。子どもたちは14日、山本氏に抗議文を送った。
抗議文を書いたのは、NPO法人「アフリカ日本協議会」(東京都台東区)の活動に参加する中学生から大学生の6人。いずれも親がアフリカ出身で、アフリカの歴史や文化を学ぶ。
「自分のアイデンティティーを否定された感じだ」。父が南アフリカ出身で、母が日本人の津山家野(かや)さん(19)=東京都小平市=は、閣僚経験者の発言に驚いた。
南アフリカから都内に移り住んで約10年。肌の濃さや髪質が目立つことに複雑な思いもある。でも、理解ある友人のおかげで差別を痛感することはなく、溶け込んでいると思っていた。それが揺さぶられた。「違いを意識するようになり、本当はみんな差別しているのでは、と怖くなった」
山本氏が発言したのは11月23日、北九州市で開かれた会合の場だ。抗議文では「差別と向き合い、反対する勇気を持つすべての人に対して、真摯(しんし)に謝罪するよう求めます」とした。
協議会のサイトに掲載した抗議文には、40人以上の賛同者が集まった。父がガーナ出身で高校1年の藤井咲詩(さうだ)さん(15)=東京都練馬区=は「自分から見える世界だけを価値判断の基準にするのではなく、多様で対等な視点を持って社会を見てほしい」と言う。
協議会の津山直子代表理事(57)は、野球や陸上でアフリカ系の日本人選手の活躍が続いたことで、「存在感が増して、以前より受け入れられやすくなった」とする一方、「今回の発言はその流れに逆行していて、非常に残念だ」と話している。