- 「日本国紀」という本について時々、きかれることがある。ただ、私は読んでいないので、お答えのしようがない。そもそも、読みたくもない。百田氏というしゃっくりみたいな作家ははっきり言って嫌いだし、嫌いな作家の本を読みたくもない。そもそも、それを読むために本を買えば、彼のところに印税が入り、それを出版したところもごくごくわずかだけど儲かるのだ。そんなことをしてまで、読む義理はない。読んでないから、何も言えない。
- コピペとかいろいろと言われているけれど、自分で確認したわけではないので、何とも言えない。
で、その本に関わった編集者のTweetが目についた。
続)某作家さん、一昔以上前の話でも、物心両面面倒みてもらった恩ぐらい返してから大きな口叩いたらどうかしらと思うが、この業界にはこの手の人が結構いるのよね。自分の生活おぼつかない時に助けてくれた恩人に平気で後足で砂かけ恩を仇で返すような人が。生活力もないのに自尊心だけ異常にある人。
— 有本 香 Kaori Arimoto (@arimoto_kaori) January 14, 2019
- まあ、何とも酷い内容で、ずいぶんと大口を叩かれるけっこうなエディター&ジャーナリストだこと、と思ったけれど、一方で、編集者としては至極当然な、それどころか、編集者としてなかなかできないことを懸命にやっている、ある意味、すごく優秀な人なのかなとも思った。
- 編集者が、自分の作った本、それを書いた作家に愛着を持つのは当然のことで、その本がたとえ、どんなクソみたいなものであっても、攻撃を受ければそれを守るための行動に出るのもまた、当然だ。
- 作家が攻撃されても、本がボロクソ言われても、素知らぬ顔をしている編集者もいる中で、まさに体を張って擁護している姿は、見事というほかはない。その姿、行為がどれほど醜くて、思想的に狂ったものであったとしても、全面的な批判はできないのだ。
[日本国紀]は百田尚樹という個体の表現なのだ。それはプロパガンダやジャーナリズム、政治とは最も遠い所に在る。
— 見城 徹 (@kenjo_toru1229) January 4, 2019
作品を貫いている作者の想いを読者はどう受け取るだろうか?
[日本国紀]は古代から近代まで日本国を護るために命を賭した英霊たちに捧げられた百田尚樹の遺書だと僕は思っている。
- そして、その本を出版した会社の社長のTweet。コピペや改訂が取りざたされている本に対し「遺書」って言葉を使うのは、間抜けだなぁという感想しかない。
- たくさん売れているからいいんだよ、という意見は否定しない。「よく売れる悪書」というものだって、市場に存在価値はある。
- ただ、物書きとして、この社長は尊敬もできなければ、信用もできない。昨年、幻冬舎から本をだした。完成まで一緒に走ってくれた編集さんは、とても優秀な人だった。そんな優秀な人が、こんな弁当箱みたいな社長の元で働かされているのがくやしくて仕方がない。
- それを踏まえたうえで、こうした意見にももちろん、存在価値がある。
コピペ話題本の「7刷」を書店で見ました。売れ行きを店員に聞くと「もうあまり動きはないですね」。でも平積みじゃないですか。「注文しなくても増刷すると、それが新たに届くんです」。そんなシステムがあることを知りました。誤りを訂正するたびに増刷すれば累計部数は増えていくという仕組みです。
— 有田芳生 (@aritayoshifu) January 12, 2019
しかし不思議だの。有田芳生は、「幻冬舎」とも「日本国紀」とも「見城徹」ともいうてない。いうてるのは「話題のコピペ本」ってことだけ。なんで見城徹氏.@kenjo_toru1229 は、「有田が自分を侮辱した!!」とかいきり立ってるんかの?
— 菅野完事務所 (@officeSugano) January 16, 2019
なんか「話題のコピペ本」に心当たりあるんかの?
- 斜陽な本の話題が出てきたかと思えば、これかよ……という悲しい思いだけが残る。