- 朝日新聞より。教育勅語が「教材として使用を認める閣議決定」って何のエイプリルフールかよと思っていると、真実だった。頭に花の咲いた連中の考えることは、春の陽気より始末が悪い。
- 前段の教育勅語云々は、興味薄い人は読み飛ばしていいと思うが、後段の赤字部分は要注意。人の思想信条をどうこう言うつもりはないけれど、危機感を持つことへの一助になれば幸い。
- これは私見だが、道徳の学習指導要領内「家族愛、家庭生活の充実」の項目にある「父母、祖父母を敬愛し」は、チンポコで言えばチンカスである。父母、祖父母なんて敬愛する義務はないし、敬愛なんかしなくても何の問題もない。必要なのは、父母が子を愛し、祖父母が孫を愛することだけだ。その結果として、互いが愛し合い、敬愛し合うようになればいい。一方的に敬愛を押しつけるのは、父母、祖父母世代、つまりは腐った中高年の驕った押しつけに他ならない。若い人は騙されてはいけないよ。君たちは自由だし、誰を敬愛するのも自由だ。国のために何かする必要なんて何もない。クソみたいな国だと思ったら、さっさと出て行けばいい。その準備だけはしておくようにね。
安倍内閣が「教育勅語(ちょくご)」について、「憲法や教育基本法に反しない形」で教材として使用を認める閣議決定をした。かつて国会で「基本的人権を損ない、国際信義にも疑点を残す」として排除までされ、影を潜めてきたが、第2次安倍政権になって、閣僚などから肯定的な評価が相次ぐ。
教育勅語は1890年10月、明治天皇が君主に奉仕する臣民の教えとして示したもので、戦前・戦中の教育の根本理念とされた。
「朕(ちん)(天皇が自身を呼ぶ言葉)惟(おも)フニ」から始まり、父母への孝行など臣民が守るべき徳目が示されている=文部省図書局の「全文通釈」参照。最後に「皇祖皇宗の遺訓」として、君民一体で守ることが期待されている。天皇を中心とした国家観に貫かれ、徳目の最後の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」が、天皇のために身を捧げる軍国主義につながったという指摘もある。
学校に配られた謄本(写し)は、紀元節など儀式のときに校長が奉読し、天皇・皇后の写真とともに神格化されていった。今の道徳にあたる修身教育の柱としても採り入れられた。
しかし戦後になり、日本国憲法が公布された1946年、学校などに対し、「我が国教育の唯一の淵源となす従来の考へ方を去って」という取り扱いが書かれた文部次官通牒(つうちょう)が出され、奉読も禁止された。
ただ国会では、こうした行政上の措置だけでは、不十分とみなされたようだ。
48年6月には、衆参両院で、教育勅語の排除・失効の確認が決議された。衆院の排除決議は「今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかのごとく誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである」と指摘。教育勅語が「神話的国体観」に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損ない、国際的にも疑念を残すとして謄本を回収し、排除を完了するとした。
衆院では、各派の共同提案として松本淳造議員が決議の趣旨を説明。「教育の唯一の淵源」の考え方を取り去るとした46年の次官通牒は「消極的で徹底を欠いている」と指摘した。
長く教育の基本方針になった教育勅語が、終戦後も一定程度人々の考え方の基本になっていた様子がうかがえる。■第2次安倍内閣で顕著に
教育勅語の廃止後、教育の理念は、47年に定められた教育基本法に移った。同法は、第1次安倍政権の2006年12月に改正されたが、その時点では、教育勅語に対する政府の態度に大きな変更はなかった。
第1次安倍政権で文部科学相を務めた伊吹文明氏は国会で「一番の問題は、天皇陛下のお言葉という形で出された勅語が、戦前までの教育のある意味では基本法的役割を果たしてきたことだ」と答弁。「天皇陛下のお言葉を基本に戦後の教育を作ることは、戦後の日本の政治体制にそぐわないということになった」と述べている。だが、第2次安倍政権での政府側の答弁は踏み込んだものになった。
14年4月の参院文教科学委員会。教育勅語についての「排除決議とは関係なく、副読本や学校現場では活用できるという見解でいいか」という質問に、当時の文科省初等中等教育局長だった前川喜平前次官が答弁。「我が国の教育の唯一の根本理念であるとするような指導は不適切」とする一方、「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており、これらの点に着目して学校で活用するということは考えられる」と述べた。当時の文科相だった下村博文氏も「教材として使うことは差し支えない」と答弁した。稲田朋美防衛相は3月9日の参院外交防衛委員会で「教育勅語の中にある親孝行とか、夫婦仲よくするとか、友達を大切にするとか、日本は世界中から尊敬される道義国家をめざすべきだという考え方が核だと認識している」と述べた。
教育勅語を持ち出すまでもなく、家族愛などは、すでに2018年度から教科化される道徳の学習指導要領に入っている。小中学校ともに「家族愛、家庭生活の充実」の項目に、「父母、祖父母を敬愛し」などと盛り込まれている。
■にじむ安倍内閣の国家観
今回の答弁書をめぐっては、過去に教育勅語を排除・失効とした国会の決議を、閣議決定による答弁書によって乗り越えられるのかという問題もある。
「現代日本の議会政と憲法」(岩波書店)などの著書がある高見勝利・北海道大学名誉教授(憲法)は、「内閣は行政権の行使で国会に連帯責任を負う、と憲法66条にある。両院がそろって戦後教育の指針として教育基本法を強調し、教育勅語の謄本回収を政府に求めた決議には、内閣に対する政治的・道義的拘束力がある」とする。
さらに衆院での排除決議が、教育勅語など「詔勅」が違憲ならば無効とする今の憲法98条を根拠に示したことを指摘。今回の答弁書について「両院の決議を骨抜きにしている。教育勅語を否定しきれない安倍内閣の国家観が、この『二枚舌』ににじみ出ているように思う」と批判する。