- 異様であるとしか言いようがない。他人の汚物掃除に、教育性を見いだすのって、日本以外にもあるのだろうか。便器を綺麗にすることと、自宅の床を綺麗にすることの間に、いったい何の差があるのか、私には判らない。不合理で前時代的な苦役にしか見えないのは、私が既に非国民だからか。まして、素手で洗えとか、ただの人権問題だとしか思えない。
- しかし、野田議員までが便所の水を飲んでいたわけで、これは根深い問題だろう。
11月3日。71年前に日本国憲法が公布され、女性参政権の実現につながったこの日、私は初めて男子トイレに入り、便器を磨いた。
トイレ掃除で自らの内面を見つめ直すという先生たちの「便教会」。「教師の教師による教師のためのトイレ掃除に学ぶ会」ともいう。
今回、碧南高校(愛知県碧南市)であった便教会に参加したのは、県内の小中高校の教諭やその教え子の大学生など15人。半数が初心者だ。
恐る恐る男子トイレに入ると、リーダーの愛知工業高校定時制の安井佑騎先生(35)が、「掃除を希望する場所に行ってください」と呼びかけた。便教会は、便器を素手で磨くことで知られる。「肌が心配な人は手袋もあります」と言われたが、私は着けず、小便器の前に立った。
七つある小便器を志願したのは、すべて初参加の7人。それぞれに、便器用の基本道具3点セットが用意された。
安井先生が言う。
「最初はスポンジ、汚れが取れなければナイロンたわし、それでもダメならサンドメッシュを使います。すぐにサンドメッシュを使うと、子どもにいきなり『こらっ』と言うのと同じで傷つきます」
ほーっ、なるほど。スポンジを右手に小便器をのぞき込むと、ぷーんと臭いが漂ってきた。会ったこともない男子高校生がつけた汚れに無心で向き合い、尿がたまる部分にも指を突っ込んでこする。
隣は、今春、新卒で採用された養護教諭の女性(22)が磨いていた。のぞきこむと、すでに奥までぴかぴかだ。
「あっ、先生、いま指で汚れを確かめましたね」。一人の男性教諭に向かい、安井先生が叫んだ。「素手で掃除をすると、生徒と目線が同じになるんです」。換気扇に挟まったたばこ、便器にはりついたガムなど、生徒の変化にも気づけるのだという。「掃除は片手ではなく、必ず両手でやってくださいね。片手では問題から遠ざかります」
両手をついてタオルで床を磨き上げ、掃除は1時間で終了。床のくすみは残ったが、掃除の成果より、教育論との重なりが印象的だった。
安井先生は、トイレ掃除歴8年。「体育教諭は生徒指導を任されることが多い。傲慢(ごうまん)になり、生徒を変えようとしていた。でも、トイレ掃除で自分が変わった」と効果を語る。12年間参加している高校教諭の女性(52)は、「まだ自分は足りていない」と振り返る機会になるのだという。
別の高校教諭の男性(55)は、「日本人としての心をどう育てていくか。教育基本法は変わったが、現場はまだ変わっていない」と話す。
便教会は2001年、碧南高校の元教諭、高野修滋さん(62)が立ち上げた。「日本を美しくする会」のトイレ掃除に参加し、会の鍵山秀三郎相談役に出会ったのがきっかけだ。鍵山氏は「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の代表発起人でもある。便教会は今、山形から沖縄まで20都府県に広がっている。
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教師・生徒が素手で便器を洗い、大臣は便器の水を飲む──。嘘であってほしいが、これは厳粛なる事実である。また、このような常軌を逸した行為が一部で美談の様に扱われているのも事実である。こんな国が美しい国なワケないし、将来に引き継ぎたくもないので、どうにかしてください!!! pic.twitter.com/NVZTnFsWrR
— HOM55 (@HON5437) 2017年11月21日