これほど不道徳な内閣がこれまであっただろうか。これほど不道徳な首相がかつていただろうか。そんな奴らが、「道徳教育」を柱としたいと言うのだから、開いた口が塞がらない。でっかい虫が飛びこんできても、塞がらない。
いずれにせよ、安倍とその一派の、不道徳を絵に描いた者たちの目指す道徳教育なんて、端から歪んでいる。歪みすぎて鼻から出る。「基本的人権の保証」か「平和主義」が削除されているわけだから、まあご立派な道徳教育だ。
このまま放っておくと、今の子供たちが将来、今の政治家のようになってしまう。それがどういうことか、今の状況をみればよく判るはずだ。
自民党・日本会議が目指す「美しい国」はすぐここに。
— Hideyuki Hirakawa (@hirakawah) 2018年4月8日
今回の高等学校学習指導要領…「現代社会」を廃止する一方、「公共」を必修科目として新設…高等学校における道徳教育の柱に…生徒が「自国を愛」するようになることを指導…「基本的人権の保障」や「平和主義」が削除https://t.co/HKYBINygcb
「新高校学習指導要領の問題点」(視点・論点) 2018年04月02日 (月)
(略)
今回「現代社会」を廃止して「公共」を新設する背景には、
この科目を高等学校における道徳教育の柱にしたいという考えがあります。小・中学校には週1回「道徳」の時間がありますが、今年から「特別の教科道徳」に変わります。文部科学省は、小・中学校でも高等学校でもすべての教科を通じて道徳教育を重視するとしており、「公共」の新設もその一環です。
ここにはたいへん大きな問題があると思います。「現代社会」は、現代の政治・経済・社会について、基本的な知識や原理を学び、個人として、また自立した主権者として、的確な判断ができるようにするために設けられた科目です。この意味で、「現代社会」という科目は、生徒の価値観の形成や生き方の選択を側面から支えるものですが、特定の価値観や生き方を教え込もうとするものではありません。
しかし、「公共」を核に道徳教育を強化するとなると、話しは違ってきます。道徳は個人の価値観や生き方に直結するものですから、教科として教えたり、その習得状況で生徒を評価したりすることは適切ではありません。
ところが、学習指導要領には、「公共」の目標として、生徒が「自国を愛」するようになることを指導すると明記しています。これでは、日本国憲法が保障する思想信条の自由に反して、愛国心をもつよう指導し、生徒の思想信条を評価することになりかねません。
(略)
「公共」の学習内容を見ると、現在の「現代社会」で扱っている「基本的人権の保障」や「平和主義」が削除されています。これらは、この国と社会を成り立たせる基本原理です。これをしっかり認識しているか否かで、個人の生き方は大きく違ってきます。なぜこれらを削除するのか、私には理解できません。
政府はいま、日本国憲法改正を準備しています。それに賛成するにせよ、反対するにせよ、今こそ日本国憲法について学習することが必要です。高等学校において「基本的人権の保障」や「平和主義」について学習する機会を奪ってはならないと思います。
(略)
新学習指導要領では、すべての教科を通じて道徳教育を推進するとしていることです。
何を学び、何を考えるかの指導を名目に、生徒に特定の価値観や生き方が押し付けられることがあってはならないと思います。