Muho’s diary

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です。

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です……が、最近は吠えてばかりです。見苦しくて申し訳ありません。でも、いま日本を支配している政治家とその一派の方が遙かに見苦しいでしょう? ちなみに、普通の日常はこちらです。https://muho2.hatenadiary.jp

家族の貧困、助け合うほど苦境が深まる残酷な現実(7/28(金) 6:00配信 ダイヤモンド・オンライン)

  • 生活保護と扶養義務がメインではあるが、いろいろと考えさせられる記事(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170728-00136625-diamond-soci)。
  • 特に重要なのは、「生活保持義務」が定められているのは、未成熟の子に対する親・夫婦間だけ」、「高齢の親に対する子の扶養義務、成人に達した子に対する親の扶養義務、その他3親等内の親族に求められる扶養義務は、「生活扶助義務」と呼ばれる弱い扶養義務」という点。親は子供を扶養しなければならないが、子は別にしゃかりきになって親を扶養しなくてもいい。とにかく、これがすべてだと思う。
  • せっかくの良記事を、下衆なネタに誘導して恐縮だが、政権を支える頭の悪い運動団体が提唱するのは、「家族の重要性」だ。何の根拠もなく親を敬えと述べている。女性を軽視、蔑視して、専業主婦を見直すとか言っている。つまり、子供は家で育てろ、年老いた親は子供で面倒を見ろということだ。当然、「だから保育園なんていらない、病気になっても在宅で診るから病院のベッドは少なめに、老人ホームなんてダメよ」ということになる。そんなことで、国が栄えていくわけがなかろう。
  • もともと頭の悪くておかしい防衛大臣一人が辞めたところで、何も変わらない。その背後にいる、妄想に取りつかれたおっさんたちを捻り潰さないと、やはり日本はよくならないと思う。
  • ちなみに、私は両親ともに他界していない。家族は妻と息子一人。だから、私は家長である。運動団体の提唱するような、女子供は黙っておっさんの言うことを聞いていればいいーー世の中が来れば、私は一番、得をする。でも、そんな世の中、来て欲しいとも思わない。一つには、10年以上、母親の介護をしてきた経験があるからだ。私は運が良くて、たまたま物書きとして在宅で何とか生活費を稼ぐことができた。だから、貧困には陥らずに済んだ。それでも、いろいろなものを失った。子供が親のために苦労して、犠牲にならなくちゃならないなんて、やはり間違っている。保育園と病院と老人ホームって、今の日本に一番必要なものなんじゃないかな。
  • 私が今の政権に批判的で、その背後にいる運動団体を害虫と見なしているのは、この一点につきる。正直言えば、首相が何か悪いことをしたとか、憲法自衛隊とかは、どうでもいいとまでは言わないけれど、争点としては第二、第三だ。女性、若い人にはそれぞれの考え方、生き方があり、それは最大限尊重されるべきだ。それを老い先短いおっさんが縛るなんて間違っている。

家族の貧困、助け合うほど苦境が深まる残酷な現実生活保護の扶養義務が叫ばれるなか、家族の貧困を描いた漫画作品『家族の約束 〜あなたを支えたい〜』を読んでみたい。家族の助け合いによって困窮が倍加していくストーリーは、現実に起き得る事態だ

○助け合うほどに深まっていく 家族の困窮を描き出した漫画

 レディース・コミック誌『フォアミセス』(秋田書店)に連載されていた、漫画家・さいきまこ氏の連載『家族の約束〜あなたを支えたい〜』(以下『家族の約束』)が、現在発売中の同誌8月号で完結した。
 全5回の連載は、家族への愛情に溢れた70代の夫妻と40代の娘・息子が、互いに支え合いたいと思うあまり、不安と苦しみをかえって拡げていくことになるメカニズムを余すところなく描き出す。個々のエピソードは、貧困状況に陥る家族の「あるある」話だ。

 典型的な中流サラリーマンとその妻という70代の夫妻は、子どもたちに可能な限りの教育を与えつつ、郊外の団地の4階に「終の棲家」を購入していた。娘は結婚し、夫と1人娘とともに幸せな生活を送っている。息子も結婚して1人息子に恵まれていたが、妻と息子に去られ、1人暮らしをしていた。
 ところが、夫が病に倒れて半身不随となったところから状況が一変していく。退院後は妻の懸命な自宅介護が始まり、ついで息子が介護を手伝うために両親のもとに身を寄せる。後に、息子はうつ病で失職し、アパートを家賃滞納で追い出されていたと判明するが、そんなときだからこそ息子を守りたいと願う両親だった。しかし一家の状況は、深い家族愛があるにもかかわらず、悪化するばかり。影響は、結婚している娘の一家にも及んでいく。
 家族の状況は、夫の病気を機に一変する。「一変したかのように見える」というのが正確なところだろう。というのは、たまたま同じタイミングで起こったかのような出来事、あるいはいきなり表面化したかのように見える出来事のそれぞれに、一家や家族のメンバーそれぞれの努力ではどうにもならない背景の数々があるからだ。

 物語後半、妻と息子は他の家族と支え合うことを断念せざるを得ない状況に陥り、生活保護で暮らし始めるのだが、そこから物語は光明が指す方向へと展開してゆく。さらに、息子の別れた妻子を含む孫世代の未来への歩みも重なり、感動的な結末へ至る。

 感動を語る私に、作者・さいきまこ氏は、「フィクションですからね、希望のある結末にしなくては」と冷静に答える。

 「『家族は互いに助け合わなくてはならない』ということになったとき、本当に助け合ったらどうなるのか、シミュレーションで示したいと思ったんです」(さいき氏)

 そんな折となる7月19日、生活保護の扶養義務を果たしていない親族に対する調査を行うという厚労省方針が、メディア各社によって報道された。

(中略)

 「恐ろしいと思うのは、『親に生活保護を受けさせるのは不正受給』という考え方が、日本人に馴染んでしまっていることです。扶養『義務』と言われたら、たいていの日本人は『義務なんだから、親族の扶養から逃れちゃダメ、逃れるのは脱法行為』と思い込んでしまいますよね」(さいき氏)

 今回の報道の見出しや本文には、「扶養義務逃れ」を改善して生活保護の「適正化」に結びつけるための調査、といった文言が並ぶ。しかし生活保護制度は、日本の他の制度と地続きだ。家族に関しては、民法に従うことになる。民法で、自分の生活を切り崩しても親族の生活を支えなくてはならない「生活保持義務」が定められているのは、未成熟の子に対する親・夫婦間だけだ。高齢の親に対する子の扶養義務、成人に達した子に対する親の扶養義務、その他3親等内の親族に求められる扶養義務は、「生活扶助義務」と呼ばれる弱い扶養義務である。「したければ、全く無理がない範囲で仕送りを」ということだ。

(中略)

○「助け合い」の恐ろしさと 家族の苦しみの必然性

 そもそも世の中には、「家族の助け合い」が考えられない家族もいる。配偶者の暴力から命からがら逃げ、その後も怯え続けるDV被害者がいる。暴力を振るったり振るわれたりする両親を目の前に見てきたDV被害者の子どもたちもいる。子どもを虐待する親がいれば、高齢の親を虐待する子もいる。家族の中には、どのような人間も、どのようなシチュエーションもあり得るのだ。

 「でも、『自分は家族と助け合って暮らしていける』という方々には、助け合えない家族のことは『所詮は他人事』という感じで、なかなか共感してもらえないんです」(さいき氏)

 とはいえ、家族の助け合いを難しくする出来事はありふれている。たとえば親の介護、介護により余儀なくされる離職、子どもの進路変更……直面してから気づいても遅い。

 「ですから、『家族と助け合って暮らしたい』と思い、家族に何かあったら『心から助けたい』と思っている方々のために、実際にやってみたら何が起こるのかを見てほしい。そうすれば『助け合い』という言葉の裏にあるものが見えてくるのではないかと思うのです」(さいき氏)

○実際に支え合ったら何が起きるか、 シミュレーションによる思考実験

 そして、『家族の約束』の物語が生まれた。主人公一家を含め、「支えられる」人数に対して「支える」人数が少なすぎるわけではない。少なすぎる場面をあえて挙げれば、息子の別れた妻と1人息子が母子世帯となり、厳しい状況にあること程度だ。それなのに、家族が助け合い支え合おうとすればするほど、困窮の深刻さと範囲が広がっていく

(中略)

○「困窮は分け合うと倍加する」 という気づきを生んだもの

 『家族の約束』に登場する医療ソーシャルワーカーは、「分け合えば、喜びは倍に、苦しみは半分になるというけど、困窮という苦しみは分け合うと倍加する」と語る。母と弟に生活保護を受けさせまいと、サラリーマンの夫・高校生の娘との生活を支えながら必死でパート収入を増やし、自分の健康・夫や娘の生活を危機に陥れかねない状況にある娘にかけた言葉だ。この「困窮という苦しみは分け合うと倍加する」という言葉は、誰かが語ったわけではなく、「取材を通じて浮かび合ってきた」(さいき氏)だということだ。

 「経済的な問題に関しては、家族の助け合いはしないほうがいいんです。問題が個人にとどまっている間に、その個人を救済したほうが、リスクは最小限で済みます」(さいき氏)

(中略)

○困窮した人の生活基盤には やはり生活保護が必要

 現在、働き盛りの世代にとっては、高齢の親が生活保護を利用できるかどうかの方が、切実な問題かもしれない。親が生活保護を申請すれば、子どもには「扶養義務」がある……と説明される。とはいえ、親に対する子どもの「扶養義務」は生活扶助義務。親の生活を丸抱えする必要はない。
 
「でも『扶養義務』と言われると、誰もが果たすべき義務だと誤解されますよね。『仕送りでいいんです』と福祉事務所に説明されても、『丸抱えは無理ですが、何円なら許してもらえますか?』となるでしょう。そして、そのために子どもの学資保険を解約しなくてはならなくなったら、どうします? 子どもに『希望通りの進学はあきらめてくれ』と言えますか? ならば、その『扶養義務』を果たした先に何が起こるのか、それを示すのがフィクションの役割だと思うのです」(さいき氏)