Muho’s diary

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です。

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です……が、最近は吠えてばかりです。見苦しくて申し訳ありません。でも、いま日本を支配している政治家とその一派の方が遙かに見苦しいでしょう? ちなみに、普通の日常はこちらです。https://muho2.hatenadiary.jp

狂った妄想家たちから憲法24条守るべし 

  • これまた、必読。(http://www.lovepiececlub.com/feminism/uchikoshi/2017/03/07/entry_006511.html)
  • 一文にもならん時代錯誤の妄想がここまで具体化してしまったのって、今まで興味も持たず、見て見ぬふりしてた自分にも責任があるのかなと思ったり。
  • とにかく、家族を基本単位として考えるのは、危険だよ。得するのは、こういった妄想を抱いている爺さんとおっさんだけで、若い人は地獄を見るよ。

自民党改憲草案24条1項の前段「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」を先取りするものかとぎょっとさせる。社会の自然かつ基礎的な単位は個人である。そこをすっとばしていきなり家族…。自民党改憲草案は、日本国憲法13条前段の「すべて国民は個人として尊重される」を「全て国民は人として尊重される」と変えるという。「個」というたった一文字ではあるが、これを取り除くことは重大な意味がある。個人の尊重とは、性別や人種、宗教などを超えて、一人ひとりを大切にするという意味だ。個人のための国家であり、国家のための個人ではない。全体主義ではなく、個人主義という重要な考えである。なお、個人主義について、すぐに「利己主義」「自分勝手」とdisる人々がいる。SEALDSについて「「戦争に行きたくない」は自分中心で極端に利己的な考えかた」との武藤貴也議員のツイートは炎上したが、この手のdisりは枚挙に暇が無い。

法案は家庭教育の責任は第一義には保護者にあるとする。ちょっと待った。国がすべきは、保護者ら個人に責任を負わせることではない。現実には、貧困や、改善しない労働環境などを背景に、育児を担うことが難しい家庭もある。国は、保育所を整備したり、労働環境を改善したり、賃金格差を解消したり、自らの責任を担うべきである。
 若尾典子教授は、保護者の第一義的責任について、「旧来の家父長制から脱しようとしていた女性を、自己責任論で再び家庭の役割に結びつけるのが安倍政権の狙いだ」と指摘している(2017年3月4日付東京新聞朝刊)。改憲草案24条をめぐる自民党議員たちの発言を詳述するにはスペースが足りないが、確かに彼らの発言は、家庭が大切といいながら、男性たちで頑張ろうとは決して言わず、女性の役割を強調するのだ。母の役割を果たせと強調されることは間違いない。
 既に、教育基本法は第一次安倍政権下で、教育基本法が改悪され、家庭教育について10条が盛り込まれ、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する(略)」との10条が盛り込まれてしまった。家庭教育支援法案を取りまとめた自民党内のPTの事務局長を務める上野通子参院議員(元文科政務官)は「家庭教育ができていない親は責任を負っておらず、明らかに法律(教育基本法)違反。支援法で改めて正す必要がある」と語ったとか(毎日新聞2016年11月2日「憲法公布70年 「24条改正への布石ではないか」批判も」中川聡子記者、遠藤拓記者)。