- 何と言ってもすごいのは、三浦瑠麗氏。大日本帝国が変だったのは、せいぜい二年ほどだったと。それ以外の時期は「豊かな国家」だったと言い切っている。この人は人間に化けた侵略宇宙人か、別次元の日本からワープしてきて、こちらの日本を滅ぼそうと企む異次元人なのではかろうか。そうでなければ、「戦力不保持を定めた二項を削除すべき」とか言えるはずがない。
- 「日本が戦争をしないことにしか関心がない考え方は、世界に向かって普遍的に説明できるものではありません。志が低い」と言われるのであれば、志、低くてけっこう。「自国が戦争をしない」なんて、これ以上素晴らしいことがあるのだろうか。平和主義を矮小化しているのは、この記事を書いているような人であって、多くの人は今の平和に満足し受け容れていると私は考える。
- 「国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人」は立派に育っている。もっとも、この記事を書いたような人が模範とする狂った国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人はそれほど育ってはいない。この人はそれが不満だし、なぜ育たないのか、自分が理解してもらえないのかが判っていないのだろう。
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三浦瑠麗、酷すぎる。「戦前回帰?」は護憲/改憲問題ではない。現政権の暴走や腐敗が問題なのに議論をすり替えるな。戦前の美化もありえない愚論。
— 伊藤克則 (@quadproject) 2017年8月12日 -
今日の東京新聞インタビュー。国際政治学者、三浦瑠麗さん。「大日本帝国が人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは1943〜1945のせいぜい2年間ほど。「戦前」のイメージがそこに集中し過ぎている」と。だが「国家総動員法」は1938に成立し、5年をかけて周到に、深く日本を蝕んでいた。
— しろぐち博隆 (@HShiroguchi) 2017年8月12日 -
例の東京新聞の三浦瑠麗の「日本がおかしかったのは終戦前の2年間」ってコメント記事、あれネットでみてるだけやったらあかんな。紙で読んだらインパクト5倍ほどあるぞ。すごいな。
— 菅野完 (@noiehoie) 2017年8月12日
◆全否定は過去見誤る 国際政治学者・三浦瑠麗さん
まず、「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます。大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)~四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています。それを全て否定するのは一面的で、過去を見誤っています。
「今は、あの二年間に似ていますか」と聞かれたら、私は「全然似ていない」と答えます。「『共謀罪』法が治安維持法に似ている」というのも誤った分析。現代は当時のような共産主義やアナキズム(無政府主義)の脅威がありませんし、民主政治は成熟しました。人権を守る強い制度も定着した。あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう。警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いています。
まず護憲派。悲惨な敗戦と、あまりに大きな犠牲を払った総力戦への反省に立脚する平和主義は、一国だけのものですか、と問いたい。日本が戦争をしないことにしか関心がない考え方は、世界に向かって普遍的に説明できるものではありません。志が低い。矮小(わいしょう)化された平和主義が、すでに国民の過半数の支持を得られなくなっている。それが今の状況でしょう。