Muho’s diary

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です。

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です……が、最近は吠えてばかりです。見苦しくて申し訳ありません。でも、いま日本を支配している政治家とその一派の方が遙かに見苦しいでしょう? ちなみに、普通の日常はこちらです。https://muho2.hatenadiary.jp

それほどの国ではない

  • いや、いくらなんでも、ちょっと穿ち過ぎなのではないかと思う。赤坂自民亭は、どうしようもない馬鹿な人たちが本性を垣間見せただけのことで、1930年代の人々の動きと結びつけるほどの価値すらないと考える。自民亭に集う馬鹿者たちを権威主義再びに結びつけるのは、誤った称賛と無関心な人のドン引きを生むだけではなかろうか。
  • 私見だけれど、今の政治が続き憲法が変わっても、戦争が起きたりはしないだろう。だって、戦争を起こすほどの気力体力はもはや残っていない。また、攻めてこられるほどの価値も日本には残っていない。早晩、日本は低賃金で長時間働く、便利な世界の製造現場になるだろう。ヨーロッパで使う靴べらの先っぽや、アフリカのダムで使う歯車の一つをせっせと作ることになるだろう。観光地としてはそこそこ食えるだろうから、外国人たちに頭を下げ、理不尽なことにもヘラヘラと笑い、滅私奉公することになるだろう。国内では仕事がなく、近隣国に出稼ぎに行く若い人だって増える。中国のコンビニで日本人が店員となり、店の外では反日のヘイトデモが巻き起こっている。すべて身から出たサビなので、受け入れるしかない。
  • 安倍政権とその支持者たちは、日本がいまだ先進国であると信じている。馬鹿だと思う。でも、こうした記事を載せるマスコミもまた、自国が先進国だと考えているのだろう。

 

mainichi.jp

 

つい最近まで、東京・永田町の自民党本部に巨大なのぼりが翻っていたのをご存じだろうか。そこには、こんなメッセージが記されていた。

 「この国を、守り抜く。」である。「国」であって「国民」ではないのか、というのは勘繰り過ぎかもしれない。では「赤坂自民亭」問題を、国のリーダーは校長、国民は児童とする小学校に置き換えて考えてみたらどうだろう。

 この小学校、夏休みの野外行動で1泊することにした。児童たちは河原にテントを張り、校長ら先生たちは近くの高台の小屋に泊まった。悪天候が予想され、避難勧告も出ていたのだが、校長らは酒盛りをした。翌朝、川は氾濫。児童たちの救助で大混乱に陥ったが、校長は「学校一丸となって万全の対応に当たってきた」と誇った--。

 もちろん、子どもの安全に一義的に責任を負う校長と首相の立場は異なるが、それでも「いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしを守り抜いてまいります」(1月22日、施政方針演説)と繰り返してきた安倍首相である。「本当に安倍政権は『万全の対応』を取ってきたのか」という批判や疑問が出ても驚かない。

 引っかかるのは、こうした指摘に「与野党一緒に災害対策や今後の復興を考えなければいけないのに、揚げ足を取っている場合ではない」(落語家の立川志らく氏、11日のTBSの番組での発言)といった批判や、安倍政権の災害対応を検証する報道に「こんな時も政権攻撃をしたいのでしょうか」(自民党和田政宗参院議員、11日のツイッター上の発言)といった声が上がっていることだ。

 「そうなのか」と納得しかかるが、やっぱりモヤモヤする。批判に耳を傾け、改善すべき点を改めるのが政治の役割の一つだと思うのだが……。

(以下、略)