「風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る」より
内容も素晴らしい。でも、長い……。教養のない人はこんな長いもの読まないよ……
捕虜収容所では、日本人同士によるすさまじい暴力、リンチなどが横行。小松氏が「暴力団」と呼ぶ勢力が幅をきかせ、恐怖政治を行っていた。が、ある日それらが一掃され、捕虜内の選挙でリーダーが決められるという民主主義的な動きができた。喜ばしいことだと思ったのもつかの間、すぐに問題が起きる。収容所内の秩序が崩壊してしまったのである。
「暴力団がいなくなるとすぐ、安心して勝手な事を言い正当な指令にも服さん者が出てきた。何と日本人とは情けない民族だ。暴力でなければ御しがたいのか」(同書)
哲学科出身という異色の経歴を持つコンサルタント、山口周氏は、『日本には、教養がないまま地位だけを手に入れた実務家が多い』と述べ、現代のほとんどの日本の経営者に『確固たる思想』がないことを別の角度から述べている。そして、エリート経営者の教育機関として名高いアスペン研究所の発起人の一人であるシカゴ大学教授(当時)のロバート・ハッチンス氏の『無教養な専門家こそ、われわれの文明にとっての最大の脅威』との指摘を引用している。*8 ハッチンス氏は、哲学を学ばずに社会的な立場だけを得た人、そのような人は『文明にとっての脅威』、つまり『危険な存在』になってしまうと指摘している。ただ、組織として弱体化してしまうというだけではなく、文明にとっての脅威、というのは非常に辛辣だが、思想や哲学より感情の動員だけで乗り切ろうという政治的リーダーであふれた昨今の世界の情勢を見ているとその意味がわかろうというものだ。
哲学者のハンナ・アーレント女史は、ナチス親衛隊の一員として数百万人のユダヤ人を収容所に送ったアイヒマンの裁判を傍聴した。アイヒマンは被告席『上からの命令に従っただけ』と繰り返す。アーレント女史は、その言動のあまりの矮小ぶりに驚愕し、アイヒマンを巨悪に加担した残虐な怪物とは程遠い、単なる凡庸な小役人だったと断じた。そして、人は『思考しなければ、どんな犯罪を犯すことも可能になる』と結論づけている。
今の日本の危機的な状況は、哲学せず、教養がなく、あまつさえ、それを不要と強弁し、教養教育より実学重視と、深い思想の裏付けもなく述べるような実務家が、その実務で得た強い立場を生かして、組織運営を行ったり、発言したりして、その影響力が大きくなりすぎていることにその主要な原因があるように思う。そして、その結果として、先に述べた通り、今や企業経営者も政治家も官僚も、国民から世界で最も信頼されない存在と成り果ててしまっている。
山口氏は、著書『武器になる哲学』*10で、平成という時代を総括して、『昭和を終わらせることができなかった時代』であったと述べているが、これは卓見だと思う。