Muho’s diary

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です。

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です……が、最近は吠えてばかりです。見苦しくて申し訳ありません。でも、いま日本を支配している政治家とその一派の方が遙かに見苦しいでしょう? ちなみに、普通の日常はこちらです。https://muho2.hatenadiary.jp

安倍の顔色を見ながら続ける悲しいマラソンですよ

見事な悲観論だが、それが現実なのだろう。日本もおしまいですなぁ。チーン。

 

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安倍政権が誕生し、マスコミ支配が進んでくると、この状況は一変する。

 私がそれを痛感したのは、2015年1月23日だった。この日、私は、テレビ朝日報道ステーションに出演し、初めて「I am not ABE」というメッセージを発した。この発言に至った経緯を説明しておこう。

 同年1月20日にイスラム国(IS)が後藤健二さんの拘束動画をネット上に公開し、殺害予告を行った。当時、安倍総理は中東諸国を歴訪中だった。この映像を見た日本国民は大いに驚いた。特に、後藤さんが捕虜になっているときに、安倍総理がわざわざ中東諸国を歴訪し、イスラエル国旗の前で記者会見したり、エジプトで「ISと闘う周辺諸国に2億ドルの支援をする」と述べて、わざとISを刺激するような「宣戦布告」発言を行ったことなどを巡って、テレビでは、安倍総理の言動に疑問を呈するコメントが流れた。もちろん、安倍総理は全てわかったうえで中東を訪問していたのだが、ISがビデオ映像をそのタイミングで公表するとは思っていなかったのであろう。官邸はパニックに陥って、テレビ局に相当な圧力をかけたようだ。21日まであった批判的コメントは翌日から完全に姿を消し、メインキャスターやコメンテーターたちが、「日本は今、テロリストとの戦いを行っています。今こそ、一致団結しなければなりません。こんな時に安倍政権を批判するのは、テロリストを利することになります」などと叫んで、事実上政府批判を自粛することになった。

 私は、後藤健二さんへの連帯を示す「I am KENJI」というプラカードが世界に拡散するのを見て、それとともに、日本は平和を愛している、誰とも戦争したくない、安倍総理が中東で発した言葉は日本国民の思いではない、ということを世界に伝えるべきだと思った。そこで、英語で、「I am not ABE」と発信しようと報道ステーションの番組内で、「言葉」で呼びかけたのだ。

 5年前の日本なら、多くのマスコミが私の言葉を支持しただろう。しかし、番組中に菅義偉官房長官の二人の秘書官から、テレ朝幹部二人に別々に抗議のショートメールが届くと、テレ朝報道局長は報道ステーションに圧力をかけた。2月には私の4月以降の番組出演がなくなることが決まった。もちろん、陰で官邸からの嫌がらせもあった。そこで、私は、3月27日の最後の報道ステーション出演で、「I am not ABE」というフレーズを印刷したA3の紙を掲げ、安倍政権の報道弾圧の事実を告発するとともに、世界に向かって我々日本人は安倍総理とは違うというアピールをしようとテレビを通じて呼びかけた。

一方、日本のテレビ局は、安倍政権ににらまれることを怖れて沈黙するか、逆に私を批判する映像を流した。その日を最後に、報道ステーションのプロデューサーも異動となり、レギュラーコメンテーターの恵村順一郎氏(朝日新聞論説委員)も降板。報道ステーションが終わった日である。

 この時、私は、安倍政権のマスコミ支配が完成したということをあらためて確認した。それは、安倍政権批判をするときにマスコミの支持を期待することはできないということを意味する。

  もちろん官僚たちは、こうした事態を敏感に感じ取っている。マスコミとタイアップして、政府の悪政を告発するという手段はほぼ封印された。

 その後、安倍政権のマスコミ支配とその悪用は、さらにエスカレートし、批判を封印するだけではなく、安倍批判を展開する個人を潰すという驚くべき手段を使うまでになった。文部科学省の前次官の前川喜平氏が、退官後、加計学園問題で安倍政権批判を展開すると、読売新聞が個人攻撃と思える記事を報道した。一民間人について、前次官とはいえ、職務と関係のない私生活を暴露し、その個人の信用を失墜させるということが起きたのだ。これを見た官僚たちは驚いた。安倍総理の異常性は霞が関中に知れ渡ってはいたが、「御用新聞」とはいえ、日本最大の販売部数を誇る天下の読売新聞が、政権のために”人権侵害”の恐れがある記事で安倍批判をする個人を潰すような報道をする。それほど、日本のマスコミが安倍総理にひれ伏し媚を売っているのだと。

 

経済部や政治部は、完全に安倍政権の軍門に下っているか、そうでなくても、部内に必ず安倍政権から情報をとるために、ご機嫌伺いで、安倍政権批判をする人間の情報を差し出したりする連中がたくさんいることを官僚たちはよく理解している。特に、各社の社長クラスがほぼ安倍政権の軍門に下っているという現状は、これまでとは全く状況が異なる。仮に信頼できる記者がいても、その上司を含め、上層部の人間が信頼できるかと言うとかなり疑わしいと言わざるを得ないのである。
 

安倍政権のマスコミ支配が揺らいでいるかと言えば、決してそうではない朝日新聞のスクープは確かに素晴らしいものだったが、他社の最近の記事は、意識しているのかどうかわからないが、役所を批判する形での報道が多い。特に、政府が隠ぺいしていたのではないかという政権批判につながる内容がテレビに報じられるときには、ほとんどが、野党議員の国会での質問を流して行われる。つまり、何か言われたときに、野党議員の国会での発言を流しただけですというためである。もちろん、必ず、政府側の言い訳の動画も同時に同じくらいの分量で流れている。

 今の状況では、官僚は、マスコミの「流れが変わった」とは感じないだろう。様々なスキャンダルの核心に迫るには、どんなときにも、関係者の捨て身の情報提供が必要だ。その際、情報提供する者から見れば、記者がどれだけ信頼できるのかということが何よりも重要だ。ある意味、戦場でともに闘う同志という感覚にならなければ本当に重大な情報提供はできない。

 まずは、マスコミが「心ある官僚」から見て、信頼に値するものに生まれ変わる。それがなされなければ、スキャンダルは、単に世の中を騒がせただけ終わり、その真相は永遠に闇の中ということになってしまう可能性が高い。

 マスコミ、とりわけ、テレビ局が、本来の機能を取り戻すことができるかどうか。

 それを考えると、安倍政権が倒れなければ、それは無理だという答えにたどり着く。安倍政権が倒れるにはマスコミがその機能を取り戻すことが必要だから、結局は堂々巡りになっているというのが、悲しいかな、日本の政治とマスコミの現状なのだ。