Muho’s diary

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です。

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です……が、最近は吠えてばかりです。見苦しくて申し訳ありません。でも、いま日本を支配している政治家とその一派の方が遙かに見苦しいでしょう? ちなみに、普通の日常はこちらです。https://muho2.hatenadiary.jp

  • 最近は訳の判らん政治的な記述ばかりで、大倉はいよいよ筋金入りのキチガイになったのかと思われているかもしれない。もともと政治には何の関心もなかったし、怪獣とミステリーに手をださなければ、静観、無視というスタンスだった。それを変えようと思った理由は二つ。
  • 一つは、共謀罪。これは著述業を生業とする者として、黙っているべきではないと思ったからだ。何しろ、頭の中で考えた人殺しの話でお金をいただいているのだ。考えただけで罪に問われたりしたらたまったものではない。ふざけるのもいい加減にしろというところだ。
  • もう一つは、昨今の道徳教育に代表されるように、政府が「家族」のあり方に介入しようとしていることを知るに及んだことだ。今まで散々書いてきたが、私は家族でろくな目に遭っていない。完璧主義で潔癖症で世間知らずの身内に散々振り回され(今でいう毒親みたいなものか)、その後は12年間、介護をするハメとなった。介護保険などを使いながら自分で介護していたのは、最初の5年、残る7年は施設に観てもらっていた。最初の5年は仕事に割く時間すらなく、副作用で鬱病になって暴れる身内を、タクシーで精神病院に連れていったりした。朝、洗面所で血だらけになって倒れていたこともあった。てんかんの発作を起こして、目の前で呼吸が止まったこともある。前に住んでいたマンションの壁には大きな穴が空いていたが、それは私が親を殺したくても殺せず、壁を蹴り続けたから空いた穴だ。施設に入ってからの7年はお金との闘いだった。物書きとして、そうした支払ができたのは、奇跡というか、本当にありがたいことだと思っている。いろいろ終わって家族の呪縛のようなものから解放され、ホッとしたときには48歳になっていた。「家族」にはいろいろな形がある。尊敬できる親もいれば、殺したくなるような親もいる。最後まで家族仲良く暮らす人もいれば、介護を一度も経験しない人だっているだろう。善い面も悪い面もあるけれど、それこそが多様性だ。政府が介入し「親に孝行しろ」とか「年寄りを労れ」とか、まったくもって冗談ではない。親は子を養う義務はあるが、子が親を養う義務はない。子が親にどういう態度をとるのかは、自由だ。良環境でもクズみたいな人間になる場合もあるし(おお! 今の政治家を見よ!!)、逆もまたある。自由なんだよ。お上がそれをコントロールしようなんて、恐ろしく危険な話だ。クソ親なのに、親というだけで、子は敬わねばならないのか? 人生犠牲にして孝行しなくちゃならんのか? そんな世界、闇だろう。そうした間違った「あるべき家族の姿」を主張している輩の理想は、「サザエさん」なのだ。少し前に話題になったでしょう? 二世代、三世代が同居し、子や孫は親、祖父祖母の面倒を見る。いったいいつの時代の話なのか。時代錯誤も甚だしいし、そんな妄言は酒場のカウンターの片隅だけにしておいてもらいたい。でも、悲しいかな、そういうことを主張している輩はけっこういて、けっこうな地位に就いている。このままいくと、「そんなバカな」が現実になる可能性も高いのだ。
  • 長々と恐縮だが、もう一つ、ツイートをこんなところにわざわざ貼るなんて、バカか? と思われるかもしれない。少し前まで、こうした話題で吠えるのはTwitterでやっていた。フォローしてくれている若い人の目にも留まるし、多少、アピールできるかと思ったからだ。でもある日、自分のツイートをまとめて読んでみたのだが、その醜悪ぶりに愕然とした。それだけ、政治の話題が醜悪だということなのだが、これでは若い人がどん引きするだけで、何の効果もないと思った。だから、まあある程度の能動性が必要とされるこのブログにすべてまとめようと思ったわけだ。お見苦しいと思うが、何しろ、Muhoなんで、我慢して下さい。