小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です……が、最近は吠えてばかりです。見苦しくて申し訳ありません。でも、いま日本を支配している政治家とその一派の方が遙かに見苦しいでしょう?

菅野完レポートより おっさんたちのアパルトヘイト

 

  • 菅野完リポート 10月25日号より(ここより前にはアグネス騒動の愉快な顛末などが書かれているのですが、とりあえず、以下、抜粋で載せておきます)

例の熊本の議員さんの話。

熊本市議会に子供連れで出た緒方さんに処分が検討されているそうです。「赤ちゃんを連れて出た」ことに対する処分ではなく「開会を遅らせた」ことに対する処分とのこと。

いやさ。

開会遅らせたのは、緒方議員やないべさ。緒方議員に赤ちゃん連れてくるなというたほうだべな。

「議会の開会が遅れたのは緒方議員のせい」というのならば、モントゴメリーのバスが定刻通り運行されなかった原因はローザパークスにあるんですかいの?

これね、単なるミソジニーなんですよ。ローザパークスが席を譲らなかったことに「もっと違う方法で声をあげろ」と言ってたやつが軒並みレイシストであったのとおなじで、緒方議員のやり方に対して「もっと他のやり方があったろう」と指摘してる連中はミソジニストでしかない。

機会均等の原則から言うと、当人に子供がいようがおるまいが、男だろうが女だろうが、被選挙権があって当選してるのなら、正々堂々と議場に入ればいい。しかし現実問題として「子供が預けられない議員」はいる。「子供がいるから議会に出席しづらい」ってのなら、それはもうたんに、機会均等の原則からいって「不平等」でしかないわけです。で、こうした不平等の是正が不平等を感じていない側から是正されるなんてことはめったにないわけ。そして不平等を感じてない側に「そこに不平等がある」ってことを認知させるためには「あのーすみません、実を言うとこう言う事情がございましてねー」と上品な小声でいうてもしゃーないんです。「ほらこれが不平等の実際じゃ」とどーんと見せるしかない。ローザパークス
がやったことはまさにそれですわな。

ローザパークスに拒否反応を示した連中がクソレイシストであるのと同様、緒方議員にあーだこーだ言う連中がクソミソジニストだというのはここ。

プロテストならプロテストとして理解したらええがな。なんで「態度」だの「ルール」だのを持ち出すのか。ほなお前らは「殊勝な態度」で「ルール」をまもっとったら「そこにある不平等」に早晩気づいてたっていうんかい? 

ちゃうでしょう。よう気づかんでしょう。緒方さんみたいなのがおってからはじめて「ああそうかー」となるんでしょうが。

マイノリティーの声ってのは煩いしうっとおしいんです。いや逆やな。自分にとって「うざったいうるさい声」ってのはだいたいマイノリティーの叫びなんです。

なぜか。

電車の中で電話かけてる人を思い出したらいい。

電車のなかで携帯で喋ってる人の声ってめっちゃ気分わるいですよね?うるさいですよね。電車ががたんごとんうごいてて周りに騒音あるのにめっちゃうるさい
一方たとえば職場の電話はどうでしょう?職場で他の人が電話で話ししてても気にならん。そりゃ大声出されたらうるさいなーと思うかもわからんけども、普段そんなに敏感にならん。職場の方が電車の中より静かなのにも関わらず。

あれね、ようは、「職場の人が電話で話ししてる内容は、その人が電話相手と何を喋ってるかだいたい見当がつく。そやけど電車で知らん日人が電話で話ししてるのは皆目見当がつかん」からってことです。

人は、自分が理解できないものを「うるさい」と認知してしまう。

つまり、「自分にとってうるさく感じる声」は「自分に理解できない声」なんです。マジョリティー側にとってマイノリティーの声がうるさいのはつまりそういうこと。

緒方議員の行動に「不快感」を覚えたってのは、つまりたんに「自分がいかにマジョリティーとしてふんぞりかえってるか」ってだけの話でしかないんです。

しかしまあ、TwitterもFBもやってないけど、だいたい見当つきます。どんな連中が緒方議員のことを悪し様にういてるか。そしてどんな連中が緒方議員を擁護する人を茶化してるか。こういうときだいたいでてくるのは、つるの剛士あたりです。ああ言う立ち位置の人が使われるのよ。イクメンキャラ文化人は絶対こう言う時使われる。 

もうそれもミソジニーでしかないんやけどね。

なんつーかさ、おそらくこの国って、排外主義とか経済の不調とか北朝鮮とかじゃなくて、「ミソジニー」そのもので自死していくんちゃうかなとおもう。

明日またこの件書きます。

 

  • 菅野完リポート 10月26日号より(これまた面白いマクラがついているのですが、以下、抜粋でお届けします)

昨日の予告通りミソジニーについて

熊本の緒方議員の騒動については、どうやら世界中で話題になってるみたいですな。僕が見たところ、BBCとNPRが本国向けのニュースで出してます。おっとおもったのは、テレグラフ紙まで書いてたこと。ぶっちゃけ日本よりも海外で話題になってます。

そりゃそうでしょう。ぶっちゃけ、気持ち悪いもん。熊本のおっさん議員たち。誰がとったかわからんけど緒方議員につめよる三人の議員の写真がありましたな。あれほんまに気持ち悪い。醜悪としかいいようがない

モントゴメリーバスジャックの時に黒人たちに石投げた白人や、リトルロックナインをいじめてた高校生の写真が残ってますが、あの写真ぐらいインパクトあって「差別の醜悪さ」ってのを雄弁に物語っていますな。おそらく写真ってのは言語不要の技術の世界なので、ぶっちゃけ床屋政談してるそこらへんのツイッターユーザーや日本のテレビに出てる評論家なんかより数万倍、「世界基準」の感性になるんでしょうな。カメラマンの方が評論家や学者より「ものごとの本質」をえぐり出せるという好例でしょう。

で、こうかくと「え?あれ差別なん?どこが差別なん?」という話にされそうです。

確かに、女性差別であるとは一概には言えない。なぜならば、男性議員が赤ちゃんつれてきても同じようなことがおこっていたろうからです。
では「赤ちゃん差別か?」って、あのね、なんやねんその赤ちゃん差別ってのは。そんなもんあるわけない。あほなこといいなさんん。

あれはね、あのおっさんたちの醜悪さはね、「おっさん的なもの以外、全部みとめないよ」という差別の形態なんです。おっさんがやっている、おっさんが理解できる、おっさんがついていけるライフスタイル以外は全部BANするぞという形態。もはやそれは「おっさんによるアパルトヘイト」です。

この問題のやっかいなこと(やっかいなことというか、どの差別でもそうなんですけどね)、「おっさんの規定するおっさんのためのライフスタイル」に過剰適合する被差別階級の人が必ずでてくるということ。おっさんアパルトヘイトの場合、おっさんによるアパルトヘイトの被害者であるはずの、女性、子供、青年のなかから「いや、おっさんのいうことは、正しいやろう」と声高にいう連中が必ずでてくることです。そしておっさんたちはそいう人を「ういやつじゃ」と取り上げる。

これねー。どの差別でも同じなんすよ。

水平社運動が立ち上がった時に真っ先に障害となったのは、「いまのままでいいじゃないか」と声をあげる被差別部落民の存在でした。
モントゴメリーバスジャックでキング牧師が行動を起こした時、キング牧師に真っ先に罵声をあびせたのは他ならぬ黒人でした。
近しい例だと、日本会議がまさにこのパターンですな。選択的夫婦別姓に反対の声をあげ、学校での性教育に反対、各地方自治体のすすめる男女共同参画事業に反対意見を寄せる運動を担っているのは、「日本女性の会」という団体です。で、実際、各種宗教団体もこういう運動するときは女性も熱心に動く。

昨日、「ツイッター読んでないけど、だいたい、この件で緒方議員を批判してるツイッター有名人が想像つく」と書いたのもこのパターンが鉄板だから。こういうとき出てくるのは、つるの剛士とフィーフィーと相場がきまっとるんです。なんせ二人とも「当事者」ですからな。

なので今回の件もふくめて、「差別の当事者が差別の当事者として差別に異を唱えたときに、『そのやり方はだめだぞ。それじゃ理解されないぞ』と説教を垂れたり『そんな抗議の仕方だとこっちが迷惑だ』という声をあげる差別の当事者」が出てきたら、今後はみなさんも「あーあ、いつものパターンだな」と捨て置くようにしましょうね。

で、おっさんアパルトヘイトってのは、まあ端的に言えばミソジニーなわけで、で、ミソジニーである以上、おっさんアパルトヘイトは基本的にセックスの話なわけです。ラカン的にいうと「他者の快楽への嫉妬」って奴ですな。

差別が発動される時、その根本には、「あいつらは俺の知らない快楽をしっていやがる」という「嫉妬」が存在しています。だから民族差別の時に必ず食べ物の話がでてくるんです。日本人が朝鮮人を差別する時にキムチの話をするように、アメリカ人がメキシコ人を差別する時にはライム臭いとかいうし、白人が黒人を差別する時は「スイカばっかり食いやがって」みたいなこというし、イタリア移民の差別では「オリーブオイル野郎」とかが決まり文句になる。食文化で差別が先鋭化するってのは、「異民族というわかりやすい表象」である以上に「そんなに夢中になって食べるところみると美味いんだろうが俺はそのうまさを知らない」という嫉妬があるからです。

女性差別の場合は性にまつわる身体的な反応の数々がきっかけになります。月経、オーガズム、出産、授乳などなど、男からは知り得ない行為が女性にあると。で、その女性しか知らない物への怖れやある種の憧れや嫉妬が表に出てくる時に差別が生まれます。

緒方議員が議会でみせたものは、おっさんどもの知らない「快楽の具現」そのものだったわけです。女しか知らない出産の喜び、女しか知らない授乳の喜びなどなどが「議場に赤ちゃんとともに来る」という行為でおっさんたちの前に投げつけられたわけ。
もちろん、出産授乳などが自動的に「喜び」だと規定するのもおっさんならではなんですけどもね。そして身体的制限から男にはできないことを女性がしているってだけでなく、男だって十分に味わうことのできる子育ての苦労とか痛みなんてものも女性は味わっていてて、味わっているどころか、このミソジニー帝国日本では女性が不当にその苦労をしょいこんでいるわけですが、おっさんどもは、そんなこと経験してません。だからおっさんどもには、ただ単に「子供を抱く女性の姿」ってのは「快楽の図」としてしか認知できないんです。

乳幼児を真剣に育てたことのある人ならすぐわかると思うんですが、「職場に子供を連れて来る」なんてのは、楽どころかかえって苦労なんですよ。他人に迷惑かけるからとかの前に、正直、子供が自分の仕事邪魔しよるからね。他人の迷惑やなしに自分の迷惑になりよる。できたら連れていきたない。誰かに預けたい。そやけどそれができんから万止むを得ず子供を職場につれてきとるわけ。楽しみたいとか楽したいやない。苦労しにいっとるの。しかしおっさんどもにはそれが理解できない。単に「プライベートの延長」「遊んでる」としか映らんわけ。だから「議場に子供を連れて来るとは何事だ!」「職場に子供を連れて来るとは何事だ!」となるわけです。

(中略)
とりあえず今日は、「緒方議員につめよるあのおっさん議員が醜悪に見えるのは差別そのものだから」「この種の差別は他者の快楽へのやっかみがトリガーなのだ」「で、おっさんどものおっさんアパルトヘイトは、セックスそのものだ」という話です。「そやから、あの一連の騒動が気持ち悪い」って話。

  • レポート内でふれられている「醜悪なおっさんたちの写真」というのは、これのことかと。

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  • そして、これも読む価値、大いにあり。

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