Muho’s diary

小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です。

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小池知事、関東大震災の朝鮮人犠牲者めぐり持論

 

  • どれほど歪んだ危険人物であっても、この人はすさまじい票数を集めて当選した。だから、どんなことだってできるし、それを止める術は事実上、ない。選挙って大事。

 東京都の小池百合子知事は、毎年9月1日に営まれている関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を、今年は取りやめることを決めた。
 追悼文はこれまで、歴代知事が送付してきた。
 8月25日の定例会見では、これに関する質問が相次いだ。
 追悼文関連のやりとりは以下の通りだ。

━━追悼文の送付を取りやめた件に関して。どのような考えで追悼文送付を取りやめることになったのか。

「これまでにも都知事として、関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表してきた。全ての方々への慰霊を行なってきた」

━━「犠牲者全体への追悼」とのことだが、主催者側からは、一般の震災被害者と、不幸にして流言などによって虐殺された、人の手によって殺された人とでは意味が違うとの反論が出ている。これに関してはどう思うか。

「それぞれ主催する方々の切り口などは異なっていると思う。何れにしても不幸な死を遂げられた人を慰霊する気持ちに変わりはない。都として知事として、全ての方に哀悼の意を表することは大変意味の深いことだと思う」

━━民族差別という背景による不幸な悲劇に関して、特別に追悼の辞を述べることはないのか。

「そこに民族差別という観点というよりは、私はそういう災害で亡くなられた方々、様々な被害で亡くなられた方に対しての慰霊をすべきだと考えている」

━━去年、追悼文を出されて、今年は出さないことに関して。その判断の違いは何か。

「追悼文、あるいは様々なメッセージは、都知事自らが案文を考えたりするわけではなく、慣例的に、そのまま事務的に、繰り返し日付だけ変えてかどうか知りませんが、送られるということもあるようです。昨年は慣例的に送られ、後になってたまたま知った、ということです」

━━送られたことを知らなかった?

「そのような文言、メッセージに関してはあちらこちらからお申し出がございますが、知ってるもの、知らないもの、問題あるもの、ないもの、背景が必要なものなどは、私に確認取るように伝えたところです」

━━朝鮮人コミュニティのなかでは、大震災の時の朝鮮人殺害が否定されることになる、との声が聞かれる。それについてはどう思うか。

「様々な歴史的認識があると思うが、関東大震災という大きな災害、それに付随する様々な事情によって亡くなられた方々に対しての慰霊をする気持ちは変わらない」

━━5月の議会答弁で、今後については適切に判断すると述べている。追悼文のなかでは「この極度の混乱の中、多くの在日朝鮮人の方々が、いわれのない被害を受け、犠牲となられたという事件は、わが国の歴史の中でも稀に見る、誠に痛ましい出来事でした」とある。この内容について、どう考えているのか。違和感あるのか、ないのか。

「基本的に関東大震災という大きな災害があり、それに付随した形で、国籍を問わずお亡くなりになった。その意味で大法要においては全ての方々に対しての慰霊をおこなっていくことに変わりはない。(歴代知事が)それまで毎年出していたということに関しては、そういう見方もあるんだろうというふうに思いますが、私は今回は全ての方々への法要を行なっていきたいという意味から、今回、特別な形での追悼文を提出するということは控えさせていただきます」

 なお追悼式は9月1日に東京都墨田区横網町公園でおこなわれるが、同じ時間に同公園内では、「朝鮮人虐殺」を否定する団体も独自の慰霊祭を予定している。
 「真実の関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」なる集会を予定しているのは、過去に小池知事の講演会などを開催したこともある「そよ風」などの在特会関連グループ。
 小池知事の追悼文取りやめは、こうした動きと連動するものなのか。
 以前から指摘されてきた「排外的」な姿勢が、ここにきて、より明確に、わかりやすく、暴走を始めたようにも思える。

 

-「そよ風」などの在特会関連グループによる慰霊祭。こちらはすんなりと許可がおりたらしい。

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