小説などを書いている大倉崇裕のオタク日記です……が、最近は吠えてばかりです。見苦しくて申し訳ありません。でも、いま日本を支配している政治家とその一派の方が遙かに見苦しいでしょう?

  • ちょっとわけあって、東京と大阪を往復する毎日……。
  • 先日、「やさしい虐待」について少し書いたら、何人かの方からメールをいただき、少しやり取りをさせていただいた。それぞれに違う形で苦しめられ、解決の探り方も千差万別、やはり、普遍の解決方法なんてないのだなと実感した。
  • もう一つ問題となるのは、子供のころに受けた酷い扱いについて、人に説明したいが、何しろ当時は子供であり、時間も経過しているため記憶がおぼろげで、具体的に何をどうと言えないことだ。さらに、たとえ言えたとしても、客観的に見ると、実にくだらない、取るに足らないことであり、第三者に理解してもらえるのかどうか、はなはだ心許ない。
  • 判りやすい例を晒すなら、誉められたことがない。テストで20点をとると怒り狂い、何日も口をきかなくなるが、90点を取っても「あらそう」で終わる。
  • 判りにくい例を晒すと、子供のころ、近所の友達と川で遊び、服をびしょびしょにして帰宅した。当然、すさまじい勢いで怒られた。「着るものはないから裸でいろ」というよくあるパターンだ。その少し後、母に連れられて母の友達の家に行った。そこには同年の男子がいて、二人で遊ぶことになった。彼は近所の池に連れて行ってくれた。そこで多いに遊ぼうというわけだ。だが私の記憶には、川で服を濡らし怒られたことが残っている。だから、池には近づかなかった。家に戻ると、友達から聞いたのだろう、私が服が濡れるからと遊びに積極的ではなかったと、これまた烈火のごとく怒り始めた。「人と仲良くできない我が儘な馬鹿者」と言われる。この時点で、子供のこっちは、何がなんだか判らない。そうしたことが、いろいろな局面で起こる。家にずっといると、「家にばっかりいるな、表で遊べ」と怒られる。外に行くと、「出歩いてばかりで」と怒られる。万事がこんなふうに進む。
  • これを見て、「虐待だなんて大げさな」と思う人がほとんどだろう。「それはあなた自身に問題があっただけで、責任を親に押しつけるなんて、もってのほかだ」と思う人も多いだろう。でも、私自身は、立派な虐待だと思っているし、今、私は多いに幸せな人生を歩んでいるが、もしもう少しまともな親に育てられていれば、また違った幸せを掴んでいたに違いないと信じている。
  • つまりは、実態のはっきりしない、解決方なんてない、酷く難しい問題だということだ。
  • ただ大事なのは、人から何といわれようと、「何かおかしい」と気づくことだ。「当たり前」だと思っていたことが、世間では「当たり前」ではなかったと気づいたなら、そこはしっかりと追及していった方がいい。そうでないと、いつまでも、実態のない苦しみに囚われたまま、人生を生きることになる。

追伸

  • いまのところ、唯一の解決法は、田房 永子著 、「母がしんどい」を読むことだと思う。